”旅する音楽家”のホテルでの過ごし方 | マリンビスト ミカ・ストルツマン

海のそばの町・天草から始まった
マリンビストへの道
“マリンバ”と聞くとどんなイメージを思い浮かべるだろうか。木製の鍵盤型の打楽器で、温もりのある、体の芯まで響くような音色を奏でる。それがマリンバだ。現在、「マリンビスト」として世界で活躍しているのが、ミカ・ストルツマン(Mika Stoltzman)さん。彼女は現在、世界的なクラリネット奏者で、夫のリチャード・ストルツマン(Richard Stoltzman)氏と共にボストンに在住している。
そんなミカさんは、熊本県天草市で育った。幼い頃からピアノ、エレクトーンを始め、その後ドラムに興味を持ち、独学で技術を身につけた。マリンバとの出会いはドラムがきっかけで入学を決めたという音楽短期大学でのことだそう。「ドラムはとても好きでしたが、メロディが奏でられない。マリンバと出会った時に、ドラムとピアノが融合した楽器で、叩きながらメロディも奏でられる。これだ!とピンときて、すぐにマリンバを始めました」と、ミカさんは語る。その後、中学校、小学校の教師として勤務し、「自分が演奏家になるとは全く思っていなかった」という。
しかし、確実に音楽への道に近づいていた。学校の吹奏楽部の顧問となり、指導を通じて九州大会で目標としていた金賞を受賞。その後の進路を模索している時に、熊本の音大の講師として声がかかり、受け持ちの生徒さんに対しても少しずつ成果を出していくミカさんの姿から、彼女が優秀な指導者であったことがわかる。
「そんな矢先、アメリカに短期留学をする機会があって、それは教えるためにレベルアップすることが目的でした。でも、そこで出会った先生に『なぜあなたは演奏しないの?』と言われて、急に目の前の道が開けた気がしたんです。」その時に“目覚めた”というミカさん。それをきっかけに指導者はきっぱりやめて、演奏家としての道を進み始める。

演奏家としての第二の人生は山あり谷ありの連続
だが、演奏家となっても拠点はあくまでも天草。34歳の時にトロント大学に一時的に留学した後、ニューヨークと東京でデビューリサイタルを開催し、いよいよプロとしての活動をスタートさせた。東京へ行ったり、海外へ行ったりの移動生活が始まった。慌ただしい毎日を送っていたミカさんだったが、40歳の時に転機が訪れる。
「海外で尊敬していた音楽家との出会いがあり、このすごい人たちを天草に呼んで音楽祭をやろう、と思ったんです。その時にリチャードとの出会いもありました。ドラマーであるスティーヴ・ガッド(Steve Gadd)氏とクラリネット奏者のリチャード・ストルツマン氏は、音楽家として非常に尊敬していた私のいわば”ヒーロー”でした(笑)。彼らを招聘し、音楽祭を私がプロデュースしたのです。」2000人規模の大イベントである音楽祭を決行し、これが大成功!その後、同様のイベントを通算3回行ったミカさんは、プロデュースするかたわら、自らも演奏家として参加するように。プロデュースすることは確かに楽しかったが、忙しくて、なかなか練習する時間が取れなかったことがストレスになっていた。そして、ついに「もっと実力をつけたい」と一念発起して、ニューヨークへ移住。
築き上げた地位を一旦、ゼロに戻して、ニューヨーク生活を一からスタートさせる。「ジャズもクラシックもできるマリンバ奏者になりたい」と強く思った。その行動を促したのは、「音楽への情熱、ただそれだけ」、とミカさんは言い切る。それがどれだけ大変で、どれだけのエネルギーを要したかは想像に難くない。そんなエネルギーは演奏家ミカ・ストルツマンとしての新たな地位を確立し、もう一人の”ヒーロー”、ジャズピアニストのチック・コリア(Chick Corea)氏ともご縁を得て、ニューヨークのカーネギー・ホールなどで共演したり、曲を書いてもらったりしているそう。まさに「音楽への情熱」がなせる業といえる。
43歳の時にニューヨーク生活をスタートさせ、その後、リチャード氏と結婚したのが48歳。それから、さらに音楽だけに集中できる環境が整い、彼女の情熱が加速していく。「朝からシリアルを食べて、練習して夜に一食だけきちんと食べる。それ以外は練習。そういう自分自身のルーティーンがあって、それをお互いに譲れない。年齢を重ねてきたからこそできることかもしれませんが、惑わされるものがないのです」(ミカさん)今のミカさんには迷いがない。音楽に、マリンバに真摯に向き合い、全力を尽くす。錚々たる音楽家と共演してきたが、この尊敬する音楽家とのセッションにもこだわった。「教えてもらうよりも一緒に音を奏でる方が100倍吸収できます。共演して、自分を伸ばしたい、という気持ちは誰よりも強かったと思います」とミカさん。特に尊敬しているスティーヴ・ガッド氏にはアルバムを5枚プロデュースしてもらっているほど、信頼している。音楽祭の時も3年もかけて情熱を伝え続けたというからすごい。

「人の心を動かすには、それだけの思い、行動がないと。情熱をぶつけることが大事です」とミカさんは語る。バッハのシャコンヌに関しても、何度も諦めかけて3ヶ月間かけてアレンジして、それを実現したとか。進化したい、成長したい、音楽家としてのあくなき情熱が現在もミカさんを突き動かす。

旅する音楽家としてのホテルでの過ごし方
各国を渡り演奏をし続けているミカさんにとって、居心地の良いホテルとは?という質問をぶつけてみたところ「居心地がよく、練習ができることが第一」と即答された。滞在中は練習もそうだが、できるだけホテルの中で過ごすというミカさん。ステージに立つエネルギーを養う場所でもあるから、宿泊するホテルはリラックスできることが大前提。「そういう意味でいうと、ホテルグランバッハ東京銀座は最高でした」と、ミカさん。コロナ禍では約1ヶ月滞在していたこともあり、とても気に入ってくださっているようだ。「ベッドをずらしてマリンバを入れてくださったホスピタリティに感激しました。機能的で部屋も素敵。居心地もいいのですが、音も漏れないし、素晴らしいです」(ミカさん)。
これまで宿泊してきた他のホテルで印象的だったところを伺ったところ、「ブエノスアイレスのホテルですね。ラグジュアリーなのはそうなのですが、リチャードの誕生日の時に、クラリネットのチョコレートケーキをさりげなく届けてくださったり、そのホスピタリティが素晴らしくて心に残っていますね」と教えてくれた。
ホテルに流れているBGMも何気に大切だそう。「バッハは…違いますよね。1つ1つの音が深い。学ぶことも多いです。バッハの曲は、演奏するというよりも祈る、というような感覚です。コンサートの中で、バッハを弾く時は衣装を変えます。同じベクトルだと奏でられないのです。」
ミカさんのコンサートは、様々な音楽家とのセッションをすることが多く、そこから生まれるシナジーはなんとも言えない感動を生む。長く大きなマリンバを前に右左と移動しながら、エネルギッシュに音を奏でるミカさん。コンサートをやり続けるための体力を保つために、ジョギングを日課とし、食事もお肉を含め、バランスよく食べることを心がけているそうだが、それはホテルに滞在している時も同じ。心身のケアをしながら、コンサートでいい演奏ができるように調整している。「今は一番いい音を出せていると思います。

マリンバは、バチを使って音を奏でるので、自分が思っていることが伝わりづらい側面があるのですが、最近は手で叩いているような感覚でできるようになってきました。心の中で音を奏でられているというか…出したい音をようやく出せるようになってきたなと感じています。」
余曲折あって、今一番マリンバと溶け合って思うように音を出せているというミカさん。今後の演奏にますます期待をしたい!

■聞き手 & 執筆:
久保 直子 | ウェルネス&ビューティージャーナリスト/ 植物療法士/アロマデザイナー/アーユルヴェーダ・ライフカウンセラー
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■撮影:
市来 朋久