アートワーク ~ J.S. バッハを訪ねて ~
「グランバッハ」ブランドの最初のホテルとして2014年に開業したホテルグランバッハ京都セレクト。2024年のリニューアルに際し、ホテル名の由来であるJ.S. バッハの人生を辿るアートワークを設置しております。加藤 浩子氏の解説とともに、#音楽に溢れる旅 をお愉しみください。

「ホテルグランバッハ」は、「音楽の父」ヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S. バッハ、1685年-1750年)の音楽をコンセプトにしたホテル。今を去ること340年前にドイツで誕生したバッハの音楽は、今なお世界を魅了し続けています。このアートワークでは、彼が暮らした街の写真を中心にバッハの人生をたどります。

中年〜最期期 ライプツィヒ、ドレスデン
バッハが最後に暮らした街は、ドイツ屈指の大都会ライプツィヒ。ここでバッハは27年を過ごし、聖歌隊を指揮していた聖トーマス教会では「マタイ受難曲」などの教会音楽の傑作を奏で、コーヒーハウスのコンサートで「ゲヴァントハウス管弦楽団」の先駆となった団体を指揮したり、街の祝祭の音楽を仕切るなど大忙しの毎日を送りました。華やかな宮廷都市ドレスデンにもたびたび招かれ、名演奏を披露しています。
晩年は「音楽の捧げ物」「ゴルトベルク変奏曲」など精緻な名作に心血を注ぎました。

壮年期 ミュールハウゼン、ヴァイマール、ケーテン
バッハは順調に出世し、教会のオルガニスト、宮廷音楽家として活躍。結婚して一家を構え、大勢の子どもと弟子に恵まれました。ゲーテやシラーも活躍した古都ヴァイマール、宮廷楽長を務めたケーテンが、この時期のバッハの活動の中心となります。
最初の妻マリア・バルバラはケーテンで亡くなりましたが、再婚相手のアンナ・マグダレーナとは最後まで連れ添いました。「ブランデンブルク協奏曲」など名曲を書く一方、オルガニストとしての名声は世にとどろき、多くの名オルガンの鑑定に招かれました。ハレの聖母教会のオルガンを演奏した時は、名物のアスパラガスを含む大ご馳走でもてなされています。

誕生〜青年期 アイゼナッハ、オールドルフ、アルンシュタット
このコーナーでは、生誕の地アイゼナッハから、若き日を過ごしたオールドルフ、アルンシュタットをご紹介。バッハは1685年、マルティン・ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳したヴァルトブルク城があることでも知られるアイゼナッハで、音楽一家に生まれました。音楽家修業をしたオールドルフには、教会学校の学籍簿にバッハの名前が残ります。
教会オルガニストとして音楽家のキャリアを始めたアルンシュタットでは、オルガンの名技で人々をあっと言わせていたのでした。

■執筆:加藤 浩子(音楽物書き / 音楽史専門家)
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